いまのマンションに入居したときに、一部屋を書斎にしようと思い立ち、工務店にオーダーして本棚を作り付けてもらった(いちおう天然突板仕上げ)。
当初の計画では、この部屋で本を読み、思索に耽り、豊かな時間を過ごすつもりでいた。しかし、じっさいに暮らしはじめると、たいがいの時間はリビングでテレビを見ながらダラダラしているのだ。わざわざ書斎で本を読むことなど、調べものをするとき以外、ほとんどない(自分がどういうタイプの人間か、わかっていなかったんだね)。
玄関のすぐ横なので荷物が届いたりすると、とりあえずこの部屋に放り込むようになり、いつしか書斎は「本の部屋」と呼ばれる物置になってしまった。ビールやワインやミネラルウォーターのストック、自転車、ミシン、ボルダリングのマットなどがつぎつぎと持ち込まれ、一時は足の踏み場もなかった。
キッチンをリフォームしたときに、これはいい機会だから身の回りをいちど整理しようと、巷で話題の断捨離を敢行することになった(流行っているから乗ったワケではないけれど…)。
とくに、この「本の部屋」を最重点整理エリアに指定して、徹底的に要らないものを処分するべく意気込んでいた。
対象物は本棚に詰め込まれた本、雑誌、写真、CD、レコード、土産物、工具、文具、自転車のパーツなどなど。
しかし、要、不要の選別をするだけでとてつもなく時間がかかり、それだけで疲れ果ててしまった。
小学生のときからカメラを趣味にしていたので、20世紀に撮影した写真とネガフィルムだけでもかなりの量があった(正直にいうと鉄ちゃんでした)。
もう、目をつぶってポイッと捨ててしまえばいいのだが、やはりモノが写真だけに、踏ん切りをつけるのがむずかしい。
スキャンしてデジタルデータ化する手もあるが、そんなことをしていたら死ぬ間際までかかりそうな気配だ。
そこで、アルバムから写真を引き抜き、ネガとともに年度別にひとまとめにしてパッキングすることにした。アルバムならすぐに手に取って見ることができるが、いまとなっては、むかしの写真を繰り返し見ることもないだろう。だったら捨ててしまえ、という話なんだけどね(笑)。
雑誌のバックナンバーもほとんどすべて処分した。後生大事にとっておいた雑誌を読み返したことが何回あるだろう。雑誌の切り抜きで作ったスクラップ帳も、活用したことはほとんどなかったなぁ。スクラップ帳を作ることを楽しんだ、と思えばいい。
なかには、なぜこんなものを切り抜いたのか、意味不明なものもある。
若いころは共感できた作家の小説やエッセイも、いま読み返すと感覚がズレていてガッカリすることが多い。なかには時を超越する普遍的な作品もあるが、ほとんどは遠くへ流されて、やがて見えなくなる。たいがいのものはその時代とともにあるのだ。
それは蔵書を始末するときに立てたロジック、というか踏ん切るための弁明だが…。
でも、自分の感覚を形づくった、というと大げさだが、これまで生きてきたときどきに影響を受けた本が何冊かあって、これらはどうしても捨てられなかった。
さて、死ぬまでにあと何回ページをめくるだろうか。